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丸の内さんぽ - 将門首塚編 [ゆるり東京]

まだまだ残暑は厳しいけど、確実に近付いている秋の気配。

日が暮れるのも早くなってきてるので、仕事帰りにぷらぷらするのは
今がチャンス☆と思い、まずは丸の内の気になる場所へお散歩してきました。

かなり有名なスポットらしい「将門首塚」

将門首塚の碑

道路に設置してある千代田区マップで確かめながら目指します。
思った以上に皇居寄りの場所で、八重洲から目指すとなかなかの距離。

「首塚」という何となくオドロオドロシイ雰囲気の場所が、ビルとビルの隙間にあるので、
明らかに周囲より暗い。
平日の夕方だからか、先客は誰もいませんでした。
石碑の周りには、花がいっぱい手向けられていて、カエル(置物)もたくさんいます。

将門塚

カメラを向けるのは失礼かなあと、頭の中で「お写真失礼します」と思いながらパチリと。
ちょっと恐る恐るだったので、斜めから引き気味に撮った写真に。


この場所に興味がわいたのは、先日から読んでいる本に平将門が登場するため。
「はやぶさ新八御用帳 (二) 江戸の海賊」 平岩弓枝

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「平将門」がひとつのキーワードとなっていて、ゆかりの場所を訪れる新八郎。

それによりますと、
平将門は、父と兄の歿後まだ幼かったため、成人になってから帰郷。
ところが成人したら相続するはずの荘園を伯父が横領、そのうえ将門の殺害を計画。
戦いに将門が勝利したが、敗けた伯父が朝廷に讒訴(ざんそ)し、討伐。

その平将門の首塚があったところが、芝崎村の日輪寺。
もともとは天台宗だったのが、その後、神田明神が芝崎村の鎮守に。
更にその後、日輪寺が移転するときに寺と神田明神が分離。

最初に日輪寺があった芝崎村は、酒井雅楽頭(うたのかみ)様の上屋敷になっていて、
庭の古塚の跡に、将門稲荷を祭っている。
上屋敷は、神田橋御門の近くにある。
というお話。
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そして、将門首塚にある立て看板には、酒井雅楽頭の上屋敷跡地だったという文字!
本で読んだばかりの舞台に、実際に訪れることが出来るなんて感動的です。

将門首塚、酒井家上屋敷跡

この辺りは、古来から将門の怨霊に苦しめられてきた、という言い伝えが残っているらしい。

首塚そのものは関東大震災によって倒壊。
石室などの発掘調査をするも盗掘され何もなかったため、塚を破壊して大蔵省の仮庁舎建設。
数年後、大蔵大臣の病死を契機に、工事関係者や大蔵省職員の相次ぐ不審死が起こる。
将門の祟りが大蔵省内で噂され、大蔵省内の動揺を抑えるため昭和2年に将門鎮魂碑が建立。

そのほか、終戦後にGHQが駐車場を作るためにブルドーザーで作業しようとしたところ
死亡事故が起こったため、工事を中断。などという話があるそうです。


今後も、余裕のある時に仕事帰り散歩を楽しみたいと思います。

*将門首塚(まさかどのくびづか)
東京都千代田区大手町1丁目2-1



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